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えび

えびの料理をしながら、家で飼育しているザリガニは食べられるのだろうかとふと頭をよぎる。あまり考えないほうが良いのだけれど、エビの調理をしていると、かなりの割合でザリガニは、、、と思ってしまう。

戦後の物がない時代、私の祖先は食べ物の確保には本当に苦労したと思う。義理の母や叔父など親戚同士の話では「食事の時間を待てずに時計の針をこっそり進めたのが大人にバレて笑い物にされたのが悔しかった」、「自分だけ卵をもらえなかった」とそういう食にまつわる悲しい思い出が何度も繰り返し語られる。

食べるものがないこと、をそんなに恐れなくても良いのかもしれない。ただ、そうなったときどうしたら良いのか、何を食べるのかということをついシミュレーションせずにはいられない。

福島の原発事故では、汚染で食糧危機になるという恐ろしさを体感している。

今日が大丈夫だったら明日も、ということはない。

繰り返す毎日の中で、エビを調理するとき、そしてザリガニに思いを馳せるとき、もう一人の私が気をつけてね、と呼びかけているんだ。

ベランダ考

マンションの一室に居を構えて、はや14年になろうとしている。ここでの暮らしはとても便利で機能的だが、ついついやりたくなることがベランダの改良。

ベランダは洗濯物を干す他に、物置として活躍している。エアコンの室外機を置き、共用の駐輪スペースに収まらない子供の自転車、一輪車、スクーターを置いている。今年は、カブトムシの幼虫も飼育中だ。植物も植えている。

ベランダは、狭いけれども、とても大切な生活空間で、ここに植物を置き、その様子を観る楽しみは、私には必要だ。

今までで一番成功したのは、夏の朝顔。毎朝花が咲き、水遣りをしながらこんなにも嬉しい朝はないと思った。

しかし、ベランダで植物を育てるのは困難を極める。通気、日照、水やり、日中の高温。土の入れ替えも大変な作業で、十分な気力をもって臨むしかない。そうこうしているうちに、いつの間にか雑然としたベランダになってしまう。

いつもスッキリと片付き、かつ、草花が生き生きとしている、そんなベランダを理想にして、少しずつ、改良していこう。

つまり、「ベランダを育てる」ということ。これはなかなかやりがいのある事業だ。

オブラディ、オブラダ

4、5年前に車で移動するときのBGMに子ども用のCDをかけていた。

ディスクを入れっぱなしにしていて、もう何度も聞いたので、曲を聴けば次の曲が浮かんでくるというくらいになっていたが、ぷっつりと聞かなくなった。そのCDの存在自体忘れていた。

ところが、ふと、「オブラディ、オブラダ」のメロディーを聴いた娘が、「青空マーケットの歌だ」と反応したので、記憶をたどっていくうちに、忘れていたCDを車の中から発掘するに至った。

さっそく再生してみると、歌詞の冒頭は♪明るい南の町の 青空マーケット〜♪となっている。歌のお兄さんが歌う日本語の歌詞で、駐車場から家までの帰り道、娘と楽しく歌って帰った。

なんともほがらかな気分になった。

ありがたい毎日

朝起きて、家族のために1日の家事を始める。

全員を送り出すまで、状況は刻々と変わる。

ひとりはいびき。ひとりは布団に潜り込む。

ひとりは朝食を食べ始め、もう一人は食べながら半分寝てる。

今日も元気か、時間通りに送り出せるか。私は、洗濯物を干しながら様子を観察している。

家が私だけのがらんどうになったとき、さっきまでの家族の様子を頭の中で一人一人出したり入れたりして楽しむ。

今日も無事に始まった。

ありがとうございます。

働くということ

大企業の新入社員が過労により自殺に追い込まれた。

今のサラリーマンは、過剰労働が常態化している。仕事がメインで、プライベートはおまけ状態。また、それが当たり前という顔をしている。

「今日は休み」と言っているのに、仕事の電話やメールが社内や取引先から届き、応答していると、もはやプライベートはぶちこわしだと思う。

自分を大切にすることが一番大事。

会社の仕事は大事だけど、それは就業時間中に大事にすれば良い。

24時間休みなく、間断なく働かせようとする組織にきちんと対抗できるように、社員同士意識をもって助け合い、お互い休み、休ませること。

会社のロボットとしてではなく、一人の人間として、美しく働いて欲しい。

一人の人間として、その仕事とその賃金が見合っているかどうか。過度な要求をしていないか。反省しながら働いて欲しい。

 

 

 

小学校の教育と塾

小学校5年生の息子を、塾に通わせることを考えている。

公立の小学校の勉強を、普通にやっていれば、公立中学校でも勉強にはさほど苦労しないのだとタカをくくっていた。しかし、小学校で学力が普通、というのは、あまりあてにならないらしい。

なぜなら、小学校では基本問題しか解かないことがほとんどだから。非常にシンプルな問題を充分な時間をかけて解くということになる。

また、応用力ではかなりの個人差が出てくるところだが、小学校では可視化されにくい。算数なら、文章題から式をつくり、答えを導くことができるか。計算の速さ、正確さ。国語なら、漢字や読解力。「試験」という形式に慣れることも、中学生の期末テストには重要になってくる。

親としては、子どもを勉強漬けにしたいとは思わないが、基礎を固めておくことは本当に大切だと感じている。進学希望の場合、家庭学習の習慣をつけておかないと、中学、高校、大学と続く受験の厳しい競争をとても乗り切れない。

そこで、子どもの負荷を減らすために、塾の門を叩くことになるわけだ。だけど、その一方で塾の宿題や費用など、親の負荷は重くなる。さらに子どもが塾を嫌がるようになると、一体何のための塾通いだったか、だんだんわからなくなってくる。

おにぎり

毎日3食を自分で作るようになって、思うこと。

たまには、外でランチしたい、という気持ちもある。でも、外で何を食べようかなーと思うと、特別に浮かぶお店や料理はない。

もちろん、昔通ったあの店この店が気になることもあるが、とりあえず、思い出すだけで、わざわざ出かけて行かなくても大丈夫。

とくに、家で好きな本を読んだり、手芸をしたり、一人で没頭する作業をしていると、昼食の時間にしわ寄せがいく。残りご飯で握っておいたおにぎりが味方になってくれる。

子どもたちと外で過ごすのに、ランチの用意がないとなんだか心もとない。そんなとき、パパッとおにぎりを作って持っていけば本当に幸せ。

おにぎりと生きていこう。