育児と教育にロボットを使う時代。

東京都世田谷区の私立保育園では、見守りロボットが活用されているという(毎日小学生新聞10月12日号1面)。登園時間の記録や、写真撮影、簡単な手遊びのようなものを人型のロボットが行っている。

「ロボットの手」を借りて人の負担を減らすと聞けば、それも一つの解決方法なのかとも思う。だけど、そうやって育児と教育のいろいろな場面でロボットを使うようになったとき、いつの間にか子育てや教育の現場から人間が遠ざけられていくということにならないか。よくよく気をつけておかないといけない。

例えば、学校の先生が、子どもが提出した宿題の丸付けをする姿がふと思い浮かぶ。今の学校では、小学生の宿題の丸付けも、先生のお仕事。時間がもったいないから、代わりにロボットがやればいい。丸付けだけが目的なら、それで良いだろう。

だけど、宿題の丸付けには、子どもたちの苦労のあとやつまずき、思いがけない発見など、大切な情報も眠っているのだ。それらをもとに、子どもたちに一声かけてやって、次につなげることだってできる。

便利だからという理由だけで、ロボット任せにした結果、大切な情報やコミュニケーションの糸口を人間が失ってしまうのではないかと危惧している。