大人学校プログラム

65歳で引退した方々をシニアというのは、老人扱いするようで気がひけるのと、シニアという言葉に、要介護的なニュアンスを禁じえないので、「大人の学校」としておく。

文科系は、囲碁、将棋、書写、絵画、音楽、数学、クイズなど。

体育系については、月ごとの遠足やトーナメント制の卓球試合を考えている。

 

シニアのための学校プログラム

1日のスケジュールは、終日と午前、午後、の3つの構成とする。

出席者は健康状態について体調とメンタルのチェックを端末に入力する。

プログラムの責任者は、出席者の状態に基づいたスケジュールの提案や声かけを行う。欠席者の確認も行うこととする。

公共施設を使った講座の受講や運動プログラムへの参加などは、各自が行うこととする。

また、地域活動などのボランティアに従事することで、ポイントを貯めて何らかの得点を得られるようにする。

終日の参加者は昼食を用意する。

今日はここまで。

シニアリーダー育成講座

サラリーマンが退職するのは一般的に65歳。平均寿命80歳までの15年間は結構長い。

大人になれば、やりたいことも自分でできる時間や財力があるという方の方が多い。だけど、何をするかというと少し時間がもったいないような過ごし方になっているのではないか。

もちろん、時間を隙間なく埋めるような計画を立てるべきだとは思わない。だけど、何もやることがないときに時々通える決まった場所があるのは心強いのではないか。

運動、勉強、健康、生活情報についてのプログラムをつくり、それを学校のような場所で運営する。

一人暮らしの方が、孤独に陥らないようなちょっとした居場所。そういうところに、気軽に声をかけたり、プログラムの運営にあたるリーダーがいると、その施設の運営はより円滑になるだろう。

定年後の大人たちのリーダーになるのだから、それなりのスキルも必要になるだろう。

そこで、専用の講座を立ち上げる。名付けてシニアリーダー養成講座。

どんなメニューが楽しいだろうか。

明日から少しずつ提案をしていこう。

バーチャルな喫茶店

近所にカフェが増えた。

コーヒーを一杯五百円前後で売る店。それから、豆も自家焙煎している。

散歩がてら3軒はしごした。1軒目で驚いたことは、椅子しかない狭い店舗。6人座れるかどうかといったことろ。満席だったので豆を用意してもらう間、立ち話をした。

2軒目は、大きい店だったが、長蛇の列のためスキップした。

3軒目は、最初と同じ小さいお店。紙コップに注がれた五百円のコーヒーを、椅子のみの狭い店舗でちょこちょこ飲んで、緊張しながらリラックスしたような変な気分で店を出た。

狭い店舗で、テーブルもなく飲むコーヒーというのがなんとも異空間な感じがした。それがまさにゲームの中のカフェにいるような気がして、バーチャルな喫茶店という単語が頭に浮かんできた。

 

うまく言えないが発言しなくてはいけないというストレス

子どもの学校公開があり、授業の様子を3時間ほどじっくり見学してきた。

先生が、生徒に意見や考え、答えを問いかけられたら手を上げて当てられたら起立などして、クラスの皆に聞こえる声で発言しなくてはいけない。

明らかに、得意な子と不得意な子がいる。

得意な子は良い。不得意な子、これはクラスに半分くらいはいると思う。

発言することに意義があるというような授業では、子どもには大変なストレスだと思う。発言できないから出来るへの道筋を作るにはどうしたら良いのだろうか、発言しないことで損をすることが多い社会生活を思うと、気の毒だ。

子どもの歌が難しい

小学生の子どもの合奏と合唱を聴く機会が年に何回かある。子どもの演奏は本当に素敵な学校からのプレゼントだと思う。

学年が上がるにつれて楽器が増えたり、2部合唱、3部合唱となったりと、驚くほどの成長を見ることができる。

日々の先生方のご指導の積み重ねを思い、子どもたちの努力を思う。

ほんの10分くらいのことだけれど、この時間に立ち会えて、良かった、と思う。何度も思い出して味わうことができる。

だが最近、高学年の子どもの歌の歌詞が難しくて、後から思い出すことが難しくなっている。歌詞を手掛かりに記憶できないので、メロディーも頭に残らない。

歌っている本人たちはどうなのかと思う。何年たっても忘れずに、生き生きとその曲、その歌が、子どもの心に残っていることを願う。

家族を持って生きる自分を励ます言葉

配偶者を持つことや、子どもを育てることは簡単なことではない。思うに任せないことの方が多い。

だけど、一歩踏み出して家族を持つ、毎日暮らしてみる。そうすると、この大変な毎日の中に、人が一歩一歩積み重ねて生きている事や人類の歴史をしみじみと感じる時がある。

私が良いと思う事を続け、素敵だと感じる事を大切にし、それがこの先も残っているといい。

次の世代を育てる、社会を続けていくという人の営みの一部に私もいるのだと思い、今日の私は大いに元気付けられた。